ある奴隷少女に起こった出来事という本

ある奴隷少女に起こった出来事

生活クラブの「本の花束バックナンバー」で紹介されていた
ある奴隷少女に起こった出来事を読みました。

わたしたちは、日本でとても幸せで安全な世界に生きていて、いろいろな不満を抱えていたとしても、元気な体で生命の危機を感じていたり、人格を破壊するようなできごとが毎日起こっている人は多くありません。
この本の著者は、アメリカ南部で奴隷として生まれ育ちました。
わたしも、奴隷制という言葉は知っていました。少しは学校でも習い、トムソーヤの冒険のアニメなどでも目にしていました。
でも知り合いから聞いた、今も世界の至る所でひっそりと行われている、一部のお金持ちや権力者たちによる「命や人を、自分の自由にできると思っているような行動」が、公然と法律に守られ正しいこととして存在していたのが奴隷制なのだと知りました。

自分が奴隷として生まれるか、奴隷を所有する側として生まれるか。
白い肌で生まれるか、黒い肌で生まれるか。
どちらにも悪い人も良い人もいますが、神さまが「正しい」とは決して言わないようなことを、「正しい」とする奴隷制という曲がった世界では、明らかに人間として上下がはっきりと分かれてしまうのです。

以前、刑務所の囚人役と看守役に分けると、人格がみるみる変わってしまうという恐ろしい実験が行われました。
そのとき振り分けられただけの参加者たちですが、「看守=良い人/囚人=悪い人」という役をもらい演じているうちに、看守は囚人が命令に従うように痛めつけたりするのは悪いことではないと勘違いしてしまうのです。

奴隷制の下では、それと同じようなことが町や州として行われていて、奴隷は言うことを聞くのが当たり前なのです。なぜなら人格を持ってはいけない”物”という扱いなのです。とても悲しいです。
年に一度契約更新の際に、不要になったら市場で売り買いされてしまいます。家族と一緒ではなく、欲しい”物”を欲しい人が買っていく。
奴隷には無理をさせてもいいし、イライラしたら痛めつけてストレス発散してもいい、性的嫌がらせをしてもいい。死んでも仕方がない…。

奴隷制のような、上や下を決めつける制度は、人間の悪い部分を引き出します。良い人が良いことを行いづらくします。
これを書いた少女は、そんな世界の中でも、自分の違和感を大切にして、自尊心を守り続けようと努力し続けます。
狡猾な大人が、少女を何度もだますようなことを仕掛けます。
子どものころの自分だったら、ここまで疲れ果ててしまっていたら、とても彼女のように自尊心を守りきれなかったのではないかと何度も思いました。

自分の暮らしている世界がとても平和なこと。
多くの権利が当たり前のようにあること。
そういうことを知ることができること。
おかしいと思い、口にすることができること。

これは、とてもありがたいものです。
昔の日本でも、戦争のときも、生きづらい世の中はたくさんあったと思います。そんな世の中にならないで欲しいです。

子どもたちにも、是非読んで欲しい本です。
ある奴隷少女に起こった出来事

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