ブッダの基礎知識2:ブッダが歩いた道

インドとネパールには、ブッダが生きていた場所が今も残っています。「生きるしあわせ」をみつけたブッダの人生のおはなしと共に、そのブッダがいた場所の今のようすを写真でご紹介していきます。

ブッダ、誕生!ルンビニーLumbini

ルンビニの木ルンビニ園にある大きな木

ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)は、シャカ族の王子さまとして生まれました。生まれた場所は、今の国境ではネパールになります。

ブッダはお母さんであるマーヤ夫人の脇の下から生まれた、という風に伝えられています。わたしたちと変わらない人間だったブッダですが、その存在が人々に与えた影響の大きさから「生まれた時から特別だった!」と伝えられるようになったのでしょうね。お母さんの脇の下からブッダが顔を出す仏像などもあります。

ブッダが生まれた場所であるネパールのルンビニLumbiniには、お母さんマヤ夫人の名前がついたお堂が建っています。

ルンビニの木この建物の中に、ブッダが生まれた場所が残っています

ルンビニの木ブッダが生まれた場所を示す石

建物の中には遺跡が残されていて、その真ん中に「ここでブッダが生まれた」と示される石が置かれています。中はうす暗いので、はっきりとはよくわかりませんでしたが、ガラスケースの中にある石がその場所だそうです。

お堂の横には生まれてすぐの赤ちゃんブッダが沐浴をしたといわれるプールもあります。

ブッダを生んですぐにお母さんは亡くなってしまったので、生みのお母さんの顔は覚えていません。王子様として育てられたブッダですが、小さな頃から悩みやすく感じやすい子どもでした。

他の人からみたら「羨ましい」と思うような、お城の中での生活。衣食住が十分に揃っていて不自由ない暮らしをしながらも、少年ブッダはどこかスッキリせず、「お城の外の世界をみてみたい」といつも願っていました。

「みんなのしあわせ」を求めて旅にでる

ある日、ほんの少しだけ外に出ることを許されたブッダ。どんな世界が見られるのかワクワクしていましたが、実際に目の前に広がっていたのは、苦しみながら生きる人びとの姿でした。

病に苦しむ人、亡くなっていく人、悲しみに浸る人…。命はつながっているけれど、苦しくて苦しくて仕方ない。「生きることは、苦しみなんだ」と多くの人が思っているその様子をみて、ブッダはとてもショックを受けました。

生きることは、本当に苦しみなのだろうか?
みんなが笑顔で過ごせることはないのだろうか?
ブッダの心の中に、むくむくと志が育ってきました。

「生きているすべての人がしあわせになれる道を、みつけたい!」

そんな道が本当にあるのかどうかは、誰にもわかりません。でも、ブッダはそれを見つけたいと願い、心を決めました。

お城を出ることにしたのです。そのとき、ブッダには奥さんも子どももいました。それでも、自分の心には逆らえない。決意はかたく、ブッダはある夜すべてを捨てて、家を出ます。

苦行で道はひらける?

「みんながしあわせになる道」といっても、何をしたらみつかるのか、どこにいったらヒントがあるのかもわかりません。ブッダはひとまず、山の方へ向かいました。当時、聖者たちが山にこもって修行をしていると聞いたからです。

そのとき流行っていたのは、自分の体を痛めつける苦行でした。イバラの上に座って瞑想をしたり、まったく食事をしなかったり、眠らなかったり…普通の人なら死んでしまうようなことをやって、それを経験した人だけが到達できる境地があると信じられていたのです。

素直なブッダは、修行を続けます。それでも、なかなか「これだ!」という気づきは得られず、時間はどんどん経ってしまいます。家出をしてから6年も経ってようやくブッダは、ひとつの決断をします。

「こんな修行は意味がない。山をおりよう。」

自分の体をいくら痛めつけたところで、苦しんでいる人々がしあわせになれる方法はみつからない。そう気づいたのです。

ガリガリにやせ細ってしまったブッダは、杖をつきながらゆっくりと山をおります。山の下に着いたころには、疲れ果てて倒れてしまいました。

ネーランジャー川ブッダガヤとスジャータ村の間にあるネーランジャラー河

ネーランジャー川スジャータ村のストゥーパ

それを見つけて、牛乳でつくったおかゆを食べさせてあげたのが、スジャータという女の子でした。今もブッダがいたブッダガヤBodhgayaから川を挟んで反対岸には、スジャータが住んでいたという村が残っています。

ついに見つけた!しあわせの道。ブッダガヤBodhgaya

ブッダガヤの菩提樹の木ブッダガヤの菩提樹の木

菩提樹の木の下にはたくさんの人菩提樹の木の下にはたくさんの人

スジャータのつくったお粥を食べて、元気を取り戻したブッダ。ゆっくりでいい、自分のペースで進もうと思い、ゆっくりと歩き始めました。

すると、目の前に大きな木をみつけます。横に広く広く枝を伸ばした、大きな木。菩提樹の木です。

「あの木の下で休もう」

木の下に座って、目を閉じて、深呼吸します。スーハースーハー。こんな風に気持ちよく深呼吸をするのも、ひさしぶりのことでした。

ゆっくりと呼吸をしていると、自分も自然の一部であることに気づきました。自然というと、自分の外にあるものと思ってしまますが、風が吹いたり水が流れたりするのと同じように、自分の中にも意識とは関係なく血液が流れ、心臓は鼓動を打っています。

「ああ、自分が生きていることも自然なことなんだなぁ。」

そんな風に思いながら気持ちよく過ごしている中で、ブッダは「ハッ!」とするのです。そうか!これだ!ついに、見つけたのです。生きているすべての人がしあわせになる方法を。

それは、「ただ生きること」というとてもシンプルなことでした。

伝える旅のはじまり、サルナートSarnath

サルナートのダメクストゥーパサルナートのストゥーパ

「生きることこそが大切なんだ!」ひとりひとつ持っている、その命をしっかりと生きる。当たり前なことこそが、何よりも大切なことなのだと気づきます。

生きることの大切さは、ブッダ以前にあったアーユルヴェーダなどでも語り継がれていたことなので、「見つけた」というより、あらためてその大切さに「気づいた」という方が正しいと思います。

その気づきのことを「悟り」といいます。

生きる。ただひとりの自分を生きる。今この一瞬を生きる。シンプルで当たり前のことだけれど、ほとんどの人が実践できていないことです。とても大切なことに気づいたブッダは、早くみんなに伝えたい!そう思いました。うれしい気持ちの反面、「ちゃんとみんなに伝わるだろうか…」という不安も沸いてきます。

考えれば考えるほど不安でいっぱいになってしまい、伝えることを諦めかけていたとき、ブッダの夢に神さまが出てきました。

「あなたの気づいたことは、どんな人にとっても大切なこと。
勇気を持って伝えなさい。」

ブッダが5人に説法をしている像を発見!

そして、ブッダはまた旅に出ることに決めました。まずは、あの山の中で一緒に修行をしていた仲間のもとへ。「彼らなら、きっとわかってくれるはず」そう願いながら、仲間がいるサルナートへ向かったのです。

サルナートは、ブッダがはじめてお説法をした地として、今もたくさんの人が訪れます。大きなストゥーパが建てられていて、信者の方たちは時計回りに3回、祈りながら歩きます。敷地には、アーユルヴェーダ病院の跡地もあります。

アショカ王の塔細い3本の支柱が残ります

ブッダが亡くなったのちに、その偉業をたたえてブッダがいた場所に塔を建ててまわった、アショーカ王という人がいます。ここサールナートにも、アショーカ王の塔が残っています。細く長い塔なので、ほとんどが折れてしまって支柱だけですが、この塔の上にはインドの紙幣に描かれている3匹のライオン(獅子)が乗っていたのですよ。

ストゥーパがある場所から歩いてすぐのところに、博物館もあります。そこにアショーカ塔の獅子の部分や、いろんな仏像が展示されています。

特に、「初転法輪印(しょてんぽうりんいん)」という、はじめてのお説法したときの手のかたちをした仏像に出会えます。

晩年を過ごしたラージギル・霊鷲山Rajgir

ラージギルどことなく鷲に見えるような岩山

はじめてのお説法から、ブッダの伝える旅がはじまりました。目の前にいる人たちに合わせてわかりやすいように、いろんなたとえ話をしながら「生きる」という大切なことを伝え続けるのです。

次第に、ブッダのもとにはたくさんの人が集まってくるようになりました。村人だけでなく、王様などの地位がある人も同じようにブッダのファンになっていくのです。

霊鷲山(りょうじゅせん)という場所は、ブッダが晩年滞在していた場所です。小高い丘の上にあって、岩が重なっている姿が、まるで鷲のようにみえます。

アジャセ王が父を幽閉していた場所

手塚治虫のブッダを読んだ人にはおなじみ、この霊鷲山の近くには、アジャセ(アジャータシャトル)が自分の父であるビンビサーラ王を幽閉していた場所が残っています。ブッダをとても慕っていたビンビサーラ王は、閉じ込められた部屋のちいさな窓から毎日山に登っていくブッダの姿をみていたといわれています。

大切なことを伝え終え、涅槃へ。クシーナガルKushinagar

クシーナガラの涅槃像安らかに横たわるブッダの最期の姿

ブッダが亡くなったのは、80歳のときでした。 ブッダは、亡くなる前に何度も繰り返しいいました。

「わたしが亡くなっても、わたしを神さまのように崇めてはならない」
「わたしの像をつくってはならない」
と。

これは、意外に思う方も多いかもしれませんね。ブッダが亡くなって2500年ちかく経つ今でも、ブッダの存在はまるで神さまのように「見守っていてくれる存在」としてたくさんの方に信仰されています。そのブッダがモデルとなってつくられた仏像も、あちこちにありますし、それを支えとして生きている人たちもたくさんいるのです。

なのに、「神のように崇めてはならない」といったのは、ブッダが伝えていたことと反対のことになってしまうからです。ブッダが伝えたのは、誰かのためではなく「自分を生きること」。誰かや何かに依存したり、祈り続けることよりも、しっかりと自分の生活をすることが大切だということです。

もしもブッダの像をつくって、神のように崇めてしまっては、それまでの苦しい日々と何も変わりません。ブッダは、みんなと何もかわらない「ただひとりの人間だ」ということを何度も繰り返し伝えてきました

クシーナガルの大涅槃寺クシーナガルの大涅槃寺

そして、クシーナガル(クシナガラ / Kushinagar)という場所で最期をむかえます。

ここには、大涅槃寺Parinirvana Templeというお寺があります。お堂の中には右側を下にして横になった大きな「涅槃像(ねはんぞう)」がまつられています。

ちなみに、仏教ではブッダが亡くなることを「死ぬ」「亡くなる」とはいいません。
「ブッダの教えは永遠になくならない」ということで、「入滅」や「涅槃」ということばを使うのです。

ブッダの火葬が行われた荼毘塚ブッダの火葬が行われた荼毘塚

ひとりの人間だったブッダですが、人々に生きる勇気や元気を与えたその存在はやっぱり大きくて、亡くなったあともずっと語り継がれ、そののちに「仏教」というブッダを大切に思う人たちの集まりが誕生しました。

ブッダが伝えたことは「原始仏教」なんていわれることもあって、それくらい人々の願いによって信仰はかたちを変えて広まっていきました。

次のページでは、インド各地でブッダに触れられる地域をご紹介します。
ブッダに会いにいこう

ここで紹介したようなブッダがいた場所を旅したい!と思う方へ、わたしの経験から旅行のヒントをまとめました。ご参考にしてくださいね。
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